東京のエプロン屋

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店長のひとりごと

私がネット(Web)ということばを初めて耳にしたのは、
25年以上前、中学生の頃だったと思います。当時は高価なプロッピーディスクをNECのPCで使っていた帰国子女の友人を横目に、安価で安定していたカセットテープインターフェースを駆使してNHK教育番組で配信される電子楽器の音源データや、ラジオのマイコン講座からプログラムを取り込んでいました。そんな中、アメリカで注目されつつあったウェブというものが日本にやってきた!といったコメントばかり連発する深夜番組があり、毎週壮大な気分に浸りながら、かじり付いてみた記憶があります。もちろん、技術的なことは、何一つ理解していませんでした。ただ、古くは木簡や紙という情報伝達に革命を起こしたような、そんな新しい未来が、またやってくるのだ、と興奮していたものです。

90年代にはいるとパソコンが普及し、今では家庭に1台というのも珍しくない環境だと思います。パソコンというよりはインターネットを利用できる環境=ウェブに接続していることが、当たり前の時代になってきました。ちなみに私は主にベトナムを中心にアジアと日本を往来する生活をしていましたので、かなり早い時期(95年頃?)にはベトナムでネットカフェを利用しHoTMaiLアメリカヤフーのパーソナルページを友人や仕事仲間と共有していました。携行していたのは一応、ファックスが送れる程度のザウルスPI〜MI(+DC)系。

さてさて、現在のような不自由のない通信環境を手に入れてから既に10年以上が経ちます。しかし、個人的に生活の変化がどう生じたのかというと、実はほとんど変わりありません。ちょっとした調べ物をするのに重宝するなという感じはありますが、たとえば今日、これらの通信環境を一斉に失ったとしても、大した損失は被らないというのが正直なところです。むしろ無駄な文章の茂みに足をとられてしまい、前に進めない=時間を失うことが起こるようになりました。

一方、人間関係においてこの20年間は、同世代でいわゆるIT事業を手掛ける経営者さんとも数多く知り合いました。直接には業界に関わらず、しかしたくさんの友人と情報交換をしてきた小生の立場から、ここまでの流れをまとめてみると、「変化」として見えてきていることが2つあります。

1つは情報過多。
ネットでは誰にでも情報発信ができます。そしてそれら大部分については他者による編集を受けずに発行されます。
このブログでさえもわたくし如きが情報発信をさせていただいているわけですが、こうした情報を無分別に手に入れることができるネット利用者に求めらるのはより高度な「主観視する能力」です。少し話はそれますが、従来、情報というものはその伝達過程において必ず時間という概念に照らし合わされてきました。しかし今回のような発明で爆発的により量そのものが増えた場合、違う次元を手に入れたようなことが起きたと仮定出来るわけです。少なくともそういう認識をもつことが大切です。自然と流れてくる大量の情報に対して強い自意識をもち取得する場合とそうでない場合とでは大きな違いが生ずることでしょう。一般的には(非耐久性の)消費傾向が高まり、また一方では評価一辺倒の社会に偏ることになります。前者は付加価値を伴う生産性を低下させデフレを引き起こし、後者は創造性の欠如をまねく原因となります。一見すると非情な決断を日常的に求められる、今のところネットとはそんな世界の入口として機能しています。

もう1つは再発見。
ネットとは通信ですからそのうえでとり行われている行為はコミュニケーションです。便利だなと思える瞬間に、以前は円滑なやり取りをはかることが難しい、または不可能であった相手とのやり取りを可能にしてくれます。使い方さえ覚えれば、たとえばイスラム、たとえば少数民族といった方たちとも話し合いをすることができるのです。日本のような独立した島国で育った私たちにとって、こういった窓口は大変貴重なもので、実際、それらのやり取りを経験しなくとも、そこに扉があるだけでも、今までは気付くことさえなかったような自分を見つけられたり、客観性をともなった日常を過ごす機会が増えてくることでしょう。こういった便宜性にもっと軸をおいた発展を期待しています。

そもそもが、小生にはコンピュータやインターネットといったものを語る知識も技術もなく、こういった寄稿をすること自体、おこがましいことなのですが、それでも1990年という時代を節目に普及した通信環境、それがもたらす新しい未来は世界中の人が創り出した可能性だと信じます。昔、木簡が発明されこの小さな地球という星には、新しい潮流が生まれました。いろんなめぐりあわせで今を生きていられるわけですから、精一杯に実現へ向けて歩いてみたいと思います。人は考える葦でありますからね。