東京のエプロン屋

タブリエつくってます

恩人

昨夜、フランスの友人からの知らせがあり、

ベトナムでずっとサポートをしてくれていた友人が急逝したこと聞きました。

以前のように今夜の便で飛んでいくこともできず、

友人の家族と食事をとりながら悲しみを共有することもできません。

紛らわすのにキーボードをたたいています。

 

学生時代、文化人類学の視点からベトナム人を考察した本の影響で、

ドイモイ直後のベトナムへ行きました。

自由旅行がまだまだ規制をされていた時代でしたので、

一度、タイのバンコクにある大使館へ出向き、

ビザの事前申請をしたうえで、隣国のカンボジアへ移動、

プノンペンからは陸路で国境を越えてサイゴンホーチミン)まで。

情報がなく安宿でであう旅行者には逆ルートをとっている者もいて、

お互いに最新の動向を確認しあい翌朝は会うことなく別れます。

 

国境越えには車よりも現地の人が使用している

スーパーカブでの移動が安全だということになり、

夜明け前から延々とメコンデルタを走りサイゴン目指しました。

 

ようやくたどり着いたサイゴンで数日滞在していたある日、

両替をするために立ち寄った郵便局でパスポート、

航空券とお金をいれたバックを掏られてしまいます。

万が一に備えて靴中にしまっておいたVISAカードは一切通用せず、

残された現金は50ドル少し。

夜になって公園で困り果てていると、見知らぬ人が近寄ってきて、

盗まれたバックの中にあったパスポートだけを置いて去っていきました。

 

かき集めた情報から首都ハノイにはVISAカードのオフィスがあって、

現金の引き出しができるかもしれないという噂があり、

翌日、ハノイまでの列車チケットを購入し移動をしました。

木座席で乗車率は300%ほどでしょうか、

チケットはたしか20ドルちょっとと格安でした。

 

ハノイ駅についたのは3日目の朝、そこから目当てのVISAオフィスを探します。

ポケットには今夜の宿をとるお金が残っていませんでした。