あまりにも親しみのあるトーンで声をかけられましたので、
はじめ香港人かと思いました。
乗っているバイクはソヴィエト製で、
自転車が家財の時代でしたから彼は街中で明らかに浮いています。
学生時代、食べても太れず当時の私は色白で細身でしたので、
欧州人の中年男性によくモテまして、怖い思いをしたこともあります。
バイクの彼は話し方、ジェスチャーが中性的で、
そもそもが私に興味があることが明らかでしたが、
残された気力を振り絞ってこちらの事情を話すと、
よく聞いてくれていました。
それから後ろに乗りなさい、といって
建物の裏手にまわり来ていたフード付きのジャンパーを
私の頭から被せて走り始めました。
2月のハノイは夕方になると涼しく、
ただ昼間乾燥しているせいで砂埃がひどかったです。
どこをどう通ったのでしょう。
途中、鉄道の踏切を横切ったことだけわかりました。
はじめてで、情報を交わす手段がほとんどない土地ですので、
本来であれば身の危険と安全の確保を危惧しなければならないのでしょうが、
その時の私には最初で最後のチャンスでしたから、
このタイミングに懸けることしか頭にありませんでした。
むしろ軽快に走るオートバイの後席で
覆いかぶせられたフードの裾から聞こえてくる街の音が心地よく
少し眠っていたようです。